敏感チョコレート

30代半ばの女性テレビマン。地上波で言えないようなことばかりが大好きです。

呪いのテロップ 〜美人とかブスとかババアとか〜

「ちょうどいいブス」大炎上中。自虐で言ってウケを狙っているうちは問題なかったのだけれど、他人にオススメした瞬間に発火。でもこれ、ケイさんのせいというよりもこの企画をオッケーだとして成立させたテレビマンたちのせいだと思う。そのへんのデリケートさを分かっていない人たちがテレビの中には多すぎる。あの、ほんとに。びっくりするくらいここらへんのリテラシー低いの、テレビの人たち。

 

しかし、私もこれに関しては反省すべき事が多い。何故なら私もおよそ10年のテレビマン人生の中で多分100回位は「美人◯◯」というテロップとナレーションを使ったと思うから。美人広報、美人エステティシャン、美人自衛官、美人緊縛師。今にして思えば本当に失礼な話。わざわざ「美人」ってつけるということは「こんな仕事してるのに美人なんて驚き」「こんな仕事しているうえに美人なんてすごい」というように、まず大前提としてその仕事に対する上から目線と女性に対する侮蔑が入っている。その人の仕事を紹介する上で、その人が美人かどうかなんて関係ないのに。多くのテレビマンが(私が尊敬して止まない先輩ディレクターたちですら)悪気なく「美人」という言葉を使っている。もし私が「美人テレビマン」「美人プロデューサー」などと紹介されたら、まぁ、嬉しいですよ。嬉しいですとも。けれども心のどっかで「美人じゃなかったら私と仕事してくれないのかなこの人」と思ってしまう。だから私は「この人の作る番組おもしろいんですよ」とだけ紹介されるのが一番嬉しい。

 

そう思うようになってから、私がテロップを入れるときは無駄に「美人」とつけることをなるべく避けてきた。ただ、編集の途中でプロデューサーや総合演出に「ここのテロップ、『美人』ってつけて煽ったほうがよくない?」と言われれば「あ、ですよねー」と素直に従ってしまう自分がいた。さほどそこにこだわりすぎるほどのことでもないなぁ、という気持ちでいたから。でも昨今、そんな過去の自分を殴りたい。「この腰抜けが!」と殴りたい。本当に後悔している。私のいれた「美人」というテロップのひとつひとつが、女性に対する小さな呪いの積み重ねが、「ちょうどいいブスのススメ」なんていう企画にGOを出してしまうテレビ局の感覚を生み出す一因となっているのだから。

 

数多ある放送禁止用語の数々。まぁここはテレビじゃないからガンガン書くけれど、ちんこもまんこもそこまで気にする必要ないのではと思う。少々不快に思う視聴者の皆様はいるかもしれないけど。それよりも、多くの女性を不快どころか不幸にする「美人」「ブス」「ババア」という呪いの言葉を優先的に取り締まるべきじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

「これオチのない話で申し訳ないんだけどさぁ」で始まるテレビマン女子たちの会話

 

テレビマンの日常会話について書きます。

最終的には出会い系サイトの話になります。むしろそこが主題です↓

 

 

「これオチのない話で申し訳ないんだけどさぁ」

テレビ業界で働く女性はこのフレーズで会話を始める人が本当に多い。別に芸人でも何でもないのに、なんならクリエイティブとはあまり関係のないアシスタントプロデューサーやデスクさん(事務処理全般をする人)までこの言葉で話を切り出す。だからといってその後に続く話がひとりよがりな内容かというとそうでもなく、一般的に女性がカフェなんかでするようなとりとめのない普通の会話である。なぜこんな枕詞が必要なのか。

 

テレビ業界にいると「話の面白さ」へのプレッシャーをめちゃくちゃ感じることがある。よく「大阪人は会話にオチをつけたがる」というがそれに近しいことがテレビ業界でも起きている。テレビ番組の大半はエンターテインメント。常に面白い芸人さん・面白いディレクターが跋扈し新鮮な面白ネタを繰り出してくる世界である。しかもそれがお遊びではなく「仕事」なのだから真剣である。ときには血ヘドを吐く思いで面白いことを考えている。もちろんその「面白さ」というのはお笑いの面白さだけではない。ディープな世界やコアな知識といった面白さも含まれる。

 

そんな人たちなので日常会話の面白レベルも高い。たとえばオフィスで仕事中に何気なく始まったおしゃべり。数名のスタッフが自然と集まって始まる雑談である。時間にして数分だろう。その短い時間の中で、ある者は最近仕入れたゴシップを語り、ある者はそのゴシップに対してウィットに富んだ皮肉を言い、また別のある者は信憑性のカケラもないがとても刺激的な追加ゴシップを放ち、めちゃくちゃ盛り上がったところである者が巧みにオチを付けてひと笑いあって、「はー、仕事しよ」などと言って三々五々散っていくのである。これが日常である。別にゴシップばっかり話しているわけではないけれど。

 

テレビ業界で働いて10年以上になるが、私はこのテレビマンたちの雑談というやつが苦手である。嫌いなのではない。めちゃくちゃ面白いし楽しい。しかしその楽しいおしゃべりの構成員として自分はしかるべき振る舞いができるのか常にプレッシャーを感じてしまうのである。銃撃戦のように目の前を行き交う面白フレーズの弾丸を見ながら、自分はどんな言葉を放てばいいのか。話の流れを止めたりはしないだろうか。とんちんかんなことを言ったりしないだろうか。戦々恐々である。やむなく黙って話を笑いながら聞くだけのことも多々ある。そんなときはなんとも不甲斐ない気持ちになってしまう。私はなぜここにいるのだろう、と。自分の話がウケて笑いが起きたときは心底ホッとする。私はここにいてもいいんだ、と。

 

こんなことを書くと自意識過剰じゃないかとかブラックな職場じゃねーかと思う方もきっといらっしゃるだろう。しかしどんな形であれクリエイティブの世界を志した者にとっては、自分が面白いことを話せる人間であるかどうかということは自身のアイデンティティを揺るがしかねない需要問題である。特にテレビ界という、他者と関わることが必要不可欠な世界では。しかし注目したいのはその感覚が冒頭で話したようにクリエイティブでない女性にまで影響していることである。これは大問題である。なぜなら、こんな感覚で日常会話をしていては、彼女らは婚期を逃しかねないからである。

 

いまやマッチングサイトで恋人を探すことは珍しくもなんともない。テレビ業界の多くの女性たちも、特に若い世代は平気で恋人やら今夜のご飯の相手やらをマッチングサイトで探している。そんな中「1回めのデートは良かったんですけど2回めのデートが全然おもしろくなかったんですよね」と、ボヤく女子たちがなんと多いことか。彼女らが利用しているマッチングアプリは登録に年収や顔面偏差値などの審査が必要なアプリで、いわゆる「ハイスペ男子」がわんさかいるやつである。そう、あのいろんな美味い店を紹介する媒体が作った港区ナンチャラたち御用達のアプリだ。そこにいる男子たちは一見、キラキラしている。出会った瞬間はテンションがぶち上がり、将来への妄想が一気に広がる。ボーイミーツガール土曜日遊園地一年経ったらハネムーンである。しかし迎える2回めのデート。急に彼女らの心にふと冷たい風が吹く。「あれ…この人の話、つまんない」。私も経験があるからわかるのだが彼らの話はけしてつまらないわけではない。「普通」なだけである。普通に最近おもしろかったテレビの話をし、普通に趣味の話をし、普通に友人の話をする。ただそこに「おもしろくしよう」とするための工夫は特にない。起承転結に凝ったり、タメをつくったり、擬音で臨場感を作ったりという相手を楽しませる工夫がないのである。しかし…、普通の人は、そんなことイチイチ考えながらしゃべらない。むしろそれがスタンダードな日常会話である。テレビ業界で働く女性たちは日々、面白い人達の面白いおしゃべりに触れすぎていて完全に感覚が麻痺しているのである。面白不感症である。

 

なので、付き合う相手や結婚相手に面白さを求めてしまうと非常に可能性は狭まってしまう。じゃあ同業者と付き合えばいいじゃないかと思う人もいるだろうがお察しの通り、テレビマンの男性は遊び好きである。しかも毎日のようにキレイな女優さんや可愛いアイドル、セクシーなグラビアタレントと一緒に仕事をしているため、あちらさんはあちらさんで感覚が麻痺している。少なくとも手の内知ったる同業女性に行くほど女には困らないし、そんなリスキーな交際はしたくないはずである。

 

そんなわけで、面白不感症なテレビマン女子たちはもう、男性に面白さを求めることはやめたほうがいい。その先に行くべきだ。「私が面白くしてあげる」という思想を持つべきである。相手がこちらの話で笑顔になってくれたら嬉しい、という感覚を持つのだ。別に女芸人みたいになる必要はない。さっきも述べたが面白さとはお笑いの面白さだけではない。教養とか知識とか、情報が生み出す面白さを提供するのである。話し方も少し工夫するだけで相手の興味を引くような話し方ができるはずである(その話はまたいずれ)。

 

とはいえ、ね。しゃべるのってそれなりにしんどいですからね。できれば面白い男の話を笑って聞いてるだけのほうがいいですよね。

 

以前、私が同業のテレビマン男性と付き合っていたとき、自分の面白さに全く自信がなくなって「私なんて全然面白くない才能ない生きている価値ない」とド深夜に泣きじゃくったとき「大丈夫だよ、お前の話には全部俺がオチをつけてやるよ」と言われ、ああもう私、一生この人についていこうと思ったことがありました。結局すぐ別れたんですけどね。この長い文章にもこの程度のオチしかつけられない私ですが、デートのときはなるべく楽しいおしゃべりができるよう今も努力しております。

 

 

 

 

 

ときめきは断捨離できないじゃないですか。

 

 

かつて、片づけの神様・こんまり先生はこうのたまった。

「ときめくモノだけを残しなさい。あとは捨てなさい」

 

全世界で大ヒットをしたあのお片づけの本である。

部屋にあるモノを手に取った時「ときめく?ときめかない?」と自身に問いかけ、

「ときめかないものは捨てよ」というシンプルな断捨離法を書いたものだが、

私にはこの方法は全く合わなかった。

むしろこの本が一番ときめかねーわ、などと言って真っ先に捨てた。イキってた。

こんまり先生ごめんなさい。

 

断捨離できない理由は簡単。「ときめくものが多すぎる」から。

高校時代に初めてできた彼氏からクリスマスプレゼントにもらった謎の熊の置物…

を、包んでいた箱と包装紙とリボンをまだ捨てずにとってある。

我ながらドン引く。私はときめきの閾値が低すぎる。

 

他にも

ストラップのちぎれたサンダル、シャンパンの空き箱、

10本くらいある歴代メガネ全部、浪人時代に使っていた壊れた電子辞書、

元カレといつか行った居酒屋のレシート、飲み終わった紅茶の缶、

新聞に掲載されていたちびまる子ちゃんの4コマ漫画の切り抜きの束、

もう電池を入れても動かない大学生の頃にドンキで買ったピンクローター、

不倫相手と行ったホテルから持ち帰ったもうインクの出ないボールペン…などなど。

 

ほぼゴミなのはわかってる。私自身がそう思ってる。

でも捨てられない。なぜならいまだにときめくから。

手に取った瞬間に、思い出すあのときの出来事。元カレに未練があるのではない。

元カレとの思い出にいまだにときめいてるだけである。でもそれが捨てられない。

こんまり先生。片づけの神様なら教えてくれよ、ときめきを断捨離する方法を

 

つい先日も「もう捨てよう」と思っていた花柄のワンピースを着た。

柄も丈も30代半ばの女が着るにはちょっとしんどい若々しいワンピース。

でもとても気に入っていたし、最後に一回だけと思ってデートで着た。

そしたら相手の男性から「その服、可愛い」などと言われてしまった。

はいときめき発生ー。はいもうダメー。この服は捨てられませーん。

 

そんなこんなで私の家はモノで溢れている。

部屋が整理できていない女は思考も整理ができておらず生活も乱れがち、と言われる。

おっしゃる通りである。

でも最近、もうこれでいいんじゃないかと思い始めたところ。

「断捨離できない自分」にイライラすることが無駄。

モノに溢れていてもそれが自分なりに整理できていれば、

不快でない状態で収まっていれば(ベッドの下に押し込めるとかね)、

さほど気にすることはないんじゃないかと思う。

見えてないものはないのと同じ。オッケー。

 

そして何年後かにベッドの下から久しぶりにその思い出の品を取り出したときに、

相変わらずまだときめくならまたもう一度そのまましまえばいい。

「あれ?意外にあんまりだな」と思ったら捨てればいい。

そうやって捨てられたものも確かにある。

ただそうやってものを捨てることができてしまったとき、

いつもどうしようもない哀しさを覚えるのだけれど。

ああ私はもう、この思い出は捨てられるようになってしまったんだな、って。

「なんでこんなものが捨てられなかったんだろう」と思うことすらある。

記憶は無自覚に、いつも本人の許可なくこぼれていく。

 

ああそうか、

ときめきメモリアルってそういうことか。

 

 

私は片桐彩子推しだったよ。

シーユー、またね。

 

30代半ば女性テレビマン・仕事とエロと日常と

はじめまして。明美と申します。 

30代半ばの女性テレビマンです。独身です。

バラエティドラマなどなんでもやってます

田んぼと川しかないクソみたいな田舎から脱出したくてしたくて

大学進学の時に上京して今に至ります。

 

テレビという世界に10年近く身を置いているため、

おかげさまで仕事を通して得たムダ知識や経験はたくさんあります

役に立たないものほど愛おしいものですね。

でもキャリアウーマンなんてかっこいいものでもありません。

自分のうだつのあがらなさに日々小さな絶望を繰り返し、

かといって10年以上続けてしまったこの仕事を辞める勇気もなく

煮え切らぬ思いを抱えて働き続けてます。

ちなみに「うだつ」とは日本家屋の屋根につける装飾のことです。

昔はお金持ちの家にしかつけられなかったことから

「いまいちパッとしない」「出世しない」ことをうだつがあがらないと

いうようになったんですね。昔、これを説明するVTRを作りました。

 

結婚はしておりません。子供もいません。彼氏もいません。

かといって特に婚活もせず、

じゃあ女として枯れているのかと言われればおそらくそんなこともなく、

どちらかといえばジュクジュクと化膿し続けるような

目も当てられない恋愛やらセックスやらばかりをしているような毎日です。

 

twitterでは特にヤマもオチも意味もない私の日常を垂れ流しているのですが、

いかんせん実名と会社名を晒してアカウントを運用してしまったため

最近は妙に息苦しくなってきてしまいました。

なので、このブログでは140文字のその先、

私がtwitterでは書ききれなかった思いを綴っていこうと思います。

 

簡単に言えば「30代独身OLのダメな日常」です。

「私ってダメだな〜」なんて言いながら直す気なんてサラサラない、

自己愛と自省に満ちた日々を愉快におもしろおかしくお送りしていく所存です。

読んでくださった皆様の中で私と似たような属性の方々が

「よかったー!私だけじゃなかったー!」と思っていただけたら

これ以上ない喜びです。

 

当面の予定として書いていきたいテーマは

 ・日常に溢れるエログッズへの考察

 ・断捨離なんてしなくていい

 ・人生に保険をかけまくっている話

 ・楽しすぎる排水溝の掃除

 ・マンションを買ったらとにかく金がなくなった話

 ・ごめんなさいを連呼するセックスがめちゃくちゃ気持ちいい話

 

です。

 

別にエロい話ばっかりがしたいわけじゃないんですが、

twitter界で主に抑圧されてきたのがそのへんの話なので

こっちでは自由にやります。

「一駅で読めるエロブログ」みたいになったらいいですね

 

それではこれよりよろしくお願いいたします。