敏感チョコレート

30代半ばの女性テレビマン。地上波で言えないようなことばかりが大好きです。

ときめきは断捨離できないじゃないですか。

 

 

かつて、片づけの神様・こんまり先生はこうのたまった。

「ときめくモノだけを残しなさい。あとは捨てなさい」

 

全世界で大ヒットをしたあのお片づけの本である。

部屋にあるモノを手に取った時「ときめく?ときめかない?」と自身に問いかけ、

「ときめかないものは捨てよ」というシンプルな断捨離法を書いたものだが、

私にはこの方法は全く合わなかった。

むしろこの本が一番ときめかねーわ、などと言って真っ先に捨てた。イキってた。

こんまり先生ごめんなさい。

 

断捨離できない理由は簡単。「ときめくものが多すぎる」から。

高校時代に初めてできた彼氏からクリスマスプレゼントにもらった謎の熊の置物…

を、包んでいた箱と包装紙とリボンをまだ捨てずにとってある。

我ながらドン引く。私はときめきの閾値が低すぎる。

 

他にも

ストラップのちぎれたサンダル、シャンパンの空き箱、

10本くらいある歴代メガネ全部、浪人時代に使っていた壊れた電子辞書、

元カレといつか行った居酒屋のレシート、飲み終わった紅茶の缶、

新聞に掲載されていたちびまる子ちゃんの4コマ漫画の切り抜きの束、

もう電池を入れても動かない大学生の頃にドンキで買ったピンクローター、

不倫相手と行ったホテルから持ち帰ったもうインクの出ないボールペン…などなど。

 

ほぼゴミなのはわかってる。私自身がそう思ってる。

でも捨てられない。なぜならいまだにときめくから。

手に取った瞬間に、思い出すあのときの出来事。元カレに未練があるのではない。

元カレとの思い出にいまだにときめいてるだけである。でもそれが捨てられない。

こんまり先生。片づけの神様なら教えてくれよ、ときめきを断捨離する方法を

 

つい先日も「もう捨てよう」と思っていた花柄のワンピースを着た。

柄も丈も30代半ばの女が着るにはちょっとしんどい若々しいワンピース。

でもとても気に入っていたし、最後に一回だけと思ってデートで着た。

そしたら相手の男性から「その服、可愛い」などと言われてしまった。

はいときめき発生ー。はいもうダメー。この服は捨てられませーん。

 

そんなこんなで私の家はモノで溢れている。

部屋が整理できていない女は思考も整理ができておらず生活も乱れがち、と言われる。

おっしゃる通りである。

でも最近、もうこれでいいんじゃないかと思い始めたところ。

「断捨離できない自分」にイライラすることが無駄。

モノに溢れていてもそれが自分なりに整理できていれば、

不快でない状態で収まっていれば(ベッドの下に押し込めるとかね)、

さほど気にすることはないんじゃないかと思う。

見えてないものはないのと同じ。オッケー。

 

そして何年後かにベッドの下から久しぶりにその思い出の品を取り出したときに、

相変わらずまだときめくならまたもう一度そのまましまえばいい。

「あれ?意外にあんまりだな」と思ったら捨てればいい。

そうやって捨てられたものも確かにある。

ただそうやってものを捨てることができてしまったとき、

いつもどうしようもない哀しさを覚えるのだけれど。

ああ私はもう、この思い出は捨てられるようになってしまったんだな、って。

「なんでこんなものが捨てられなかったんだろう」と思うことすらある。

記憶は無自覚に、いつも本人の許可なくこぼれていく。

 

ああそうか、

ときめきメモリアルってそういうことか。

 

 

私は片桐彩子推しだったよ。

シーユー、またね。